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MAGCHIMERA WARTIME 02
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経済制裁によって何が起きたか
2003年4月15日発行
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CONTENTS
▼ 中マダムの英国村日記戦中篇02
▼ KAZUMI@ロサンゼルスの目01
▼ 澤さんからのメールROOM AIR展のお知らせ
▼ アメリカのイラク侵略と日本の役割 阿部政雄
▼ 見捨てられた街から 高山義浩
▼ イラク:裏切られた人々 ジョン・ピルジャー(益岡賢訳)
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編集発行 藤澤みどり
'Children of the Gulf War' photo exhibition UK tour
http://www.chimerafilms.co.uk/children.html
midori@dircon.co.uk
はじめに
当初の発行予定日(4月7日)より大幅に遅れての発行となりました。ニューズメールでもお知らせした通
り、その後、戦局が大きく転換したため、それぞれの筆者に原稿を寄せてもらった時点とは背景が大きく異なることを考慮の上、お読みいただけると幸いです。MAGCHIMERA
WARTIME 02という誌名に疑問をお持ちになるかたもいらっしゃるとは思いますが、アメリカのなりふりかまわぬ
プロパガンダにもかかわらず、まだイラク攻撃は続いている、戦闘中よりも深刻に、というのがわたしの認識です。
わたしは現在、日本に一時帰国中ですが、今日、ロンドンの友人より12日のデモについてのメールが届きました。主催者発表で20万人が集まったそうです。これについて日本のメディアは報道しましたか? わたしは目にしていません。イギリスでも警察発表は2万人だったそうです。2月半ばのナショナルデモも主催者発表200万人(現場にいた者の実感としては150万人超か)に対して警察発表は70万人でしたが、今回はその数のあまりの開きに作為を感じます。
いったい何に対して抗議するのか集まった人々にも疑問を持つ人が少なくなく、今までにない難しい抗議行動だったと友人は書いていました。トニー・ベンやジョージ・ギャロウェイなどのおなじみの反戦政治家が壇上に立ち、人々を励ましていたそうです。(トニー・ベンは反核運動家として『湾岸戦争の子どもたち』写
真展にも深い関心を寄せてくれています。)また、古参の労働党議員で下院議長のタム・ダレルはブレア首相を戦争犯罪人としてハーグの国際法廷に引き出さなければならないと訴えたそうです。
イギリスの防衛相は「必要性がなくなった」という理由で野戦病院を撤収すると発表しました。米軍による攻撃が続くイラクの病院では「誤爆」によって傷ついた人々が麻酔なしで手術を受けているというのに。戦後復興がアメリカの手で為されてアメリカ型の競争社会が実現した場合、親を失った子どもたち、働き手を亡くした家庭、そして不具となった人々はどうなるのでしょうか。持つ者が持たざる者に施すのが善とされたイスラム社会とは比べようのない、厳しい現実がかれらの前に立ちはだかるかもしれません。さらに、アメリカは劣化ウランの除去作業は必要なしと発表しました。取り除かれない劣化ウランの破片によって、まだ受精さえしていない未来の世代と、これからあの地に行くすべての人が放射能と金属毒の危険性にさらされます。
MAGCHIMERA WARTIME 02には戦前のイラク(湾岸戦争後の12年間余)について証言するふたつのテキストを、著者訳者の許可をいただいて転載しました。サダムからの「解放者」である米軍を歓迎しない人々、略奪に走る人々の背景を知る参考にしていただけたらと思います。前号でも触れましたが、人々を抑圧していたのはサダムの悪政ばかりではない、むしろ経済制裁と劣化ウランの被害がサダムの地位
を強固にしていたことにもう一度思い起こしてください。そして、それを支えていたのは英米の政治的な企みばかりではなく、わたしやあなたを含めた国際社会の無関心でした。
わたしがイラクに対する経済制裁の実態を知ったのは9.11の後でしたが、アメリカは今度はシリアに対する経済封鎖を実行しようとしています。(第二次世界大戦前の日本に対しても実行されました。)戦争に比べればずいぶんと耳に心地よい「経済制裁」という懲罰によって、実は空爆以上の被害が人々に及ぶことを知る必要を感じます。
快く転載の許可をくださった高山さん、益岡さんに、この場を借りてお礼を申しあげます。このメールマガジンは転送を大いに歓迎しますが、上記の2氏のテキストを個別
に転送する際には文末に記したオンライン情報を必ずいっしょに転送してください。また、わたしの物言いに押しつけがましさがあったらお詫びします。(藤澤みどり)
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中マダムの英国村日記 戦中篇2
(received on 06.Apr.03英国時間)
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相変わらず「戦争な日々」が続いている。確か今週の月曜日には決着がついているはずじゃなかったのか...? 英国のTVニュースも新聞も戦争一色とは言えないが半分は戦争で、半分は、戦争とは全く無関係の日常ネタという状態で落ち着き始めている。そして、相変わらず、ママ友との会話に戦争の話題は出ない。
同じ参戦国でも、英国の方が、米国より、遥かにイラクに近い。英国の空軍基地からB52は5時間でバグダッド上空に着く。という事は、つまり、イラクからこっちにも5時間で着くのだ。フランスやドイツは、イラクに、もっと近い。英国同様、回教徒の数も多い。
英国軍人や英国人ジャーナリストが米軍の「Friendly Fire」や米軍がらみの事故で亡くなる度に「貧乏くじを引いたんじゃないか...」と感じてならない。
もっとも、英国がフランスやドイツとくっついて得をするか、と言えば「まるトク」は絶対無いだろうし彼等の上に立つ事も絶対無いだろう。なんとか同等レベルに立つ、というのがやっとだと思う。一方、アメリカはどうか? 言葉は通
じるし、国民も、英国民より「ずっと扱いやすそう」だし「俺達より頭も悪いし無知だし経験も無い」から「上に立てる」なんて考えている訳じゃないだろうなぁ....???
私は、英国人の話を聞いたり、英国人の書いた文章等を読みながら、常々英国人にとっての米国は結局「元植民地」なんじゃないかと感じていた。オーストラリアやニュージーランドよりも、ちょっと遠い親戚
的存在だ。
欧州の、言葉も通じない国、昔から互いに戦争が絶えなかった国を徹底的に信じろ、というのは、無理なのかもしれない。従来、姻戚
関係の強かった欧州(英国も含む)の王族が近年、同国人と結婚しているのは、縄張り意識の強くなった国民への配慮の様にも思える。英国も、「外国」「異文化」の欧州大陸よりは、まだ家出して金持ちになった息子アメリカの方が信じられる....なんて考えている様な気がする。
昨夜、満面春風で投げキスをするシラク大統領の姿がニュースに映った。現在、フランス国民からの支持率は90%らしい。思わず「勝ち組」という言葉が頭に浮かんだ。ワールドカップのフランス大会の時も「絶対フランスが優勝する」と信じていた。ここと言う時には、必ず決める国だからだ。
アメリカでは、反戦国フランス非難の中に「第二次大戦中、救ってやったのに」という声があったらしいが、それは、歴史上、「泥沼の戦争」と「表面
上は仲良くお付き合い」を繰り返して来た「外交の達人」に対する「若造」の思い上がりの様に思える。フランスは決して損をしない国だ....。いくらでも「切り札」を持っている。
英国も二番になっても三番でもいいから、フランスとくっついていればよかったのに。やっぱり、最近、罵り合いの大喧嘩をしたシラク大統領にブレア首相は感情的に我慢できなかったんだろうか....????(フランス語が話せるのが、却ってアダになったか????)
もし英国にもフランスやドイツの様に兵役があったら、ひょっとして踏みとどまっていたんだろうか? 双方に莫大な数の死傷者を出し、歴史の古い国を破壊し、異宗教/民族間の「恨」を強め、自国の国民を危険にさらしても、どれだけの「損」があっても最終的には「儲かる」し、「副」ではなく「パートナー」リーダーとして世界のトップに君臨できる.......なんて、まさか考えている訳じゃないだろう....。
イラク国民を独裁者の手から解放する使命感に燃えているんだろうか? ホロコーストを見逃してしまった罪悪感をそぐ為? キリスト教的伝導精神と十字軍精神? 戦争以外の方法は見つからなかったのか?(戦争以外で、かつ、自分達も得する方法と言うべきなのか???)
ブレア首相もブッシュ大統領も、個人的に識ってみたら素晴らしい人間なのだろう。そうでなければ、身近な人間に支持されるはずはない。ただ、どうしても、この二人を見ていると不安を感じるのだ。若すぎるんじゃないか? 経験が足りないんじゃないか? 理想と現実のバランスは取れているのか? 二人とも英語文化圏出身の人間に共通
する「匂い」を持っている。
英国民放TVの記者が米軍に誤殺された時、「報道機関は、連合軍と行動を共にする様に」と警告が出された。「勝手にチョコマカ動き回るなよ。」という事らしい。ますます怪しい匂いが漂って来る。このままでは、「化学兵器」の「証拠」が見つかっても「でっちあげじゃないか?」と疑わざるを得なくなってしまう。
一昨日、アメリカでの演説で、「イラク軍は、英国軍人二人を処刑しその死体をTVで放映した」とブレア首相が口にしたとたん、その「処刑」されたはずの軍人の遺族から「処刑ではなく戦闘中の死亡だ」との反論が上がった。今朝のTVショーでは、軍側の人間が「遺族の衝撃を考慮して処刑の事実を告げなかったのでは?」と解説していたが・・・じゃ、アメリカでの公式演説で言う分には構わないのか??????
先日、同じく朝のTVショーで海兵隊員を父に持つ10歳くらいの男の子が、「誇り高き海兵隊の息子」という自作の詩を読み上げた。司会者に「この詩、どのくらいで書き上げたの?」と聞かれ、そっけなく「15分!」と即答する様な「あどけない普通
の男の子」だったが、「反戦派の人達は、軍隊に反対してるとか軍隊が嫌いだと思う?」との質問にきっぱり肯定するのを見て、心が痛んだ。
あるママ友が笑いながら「姑は、反戦派はサダム擁護者だって言い切ってる」と言っていたが、英国人の大多数が「反戦=反軍人及び家庭&サダム/テロリスト擁護」と単純に結び付けているとは決して思わない。少数派だと信じたい。それでも、小さい子供が、反戦デモを見ながら「お父さんに反対している。僕達は嫌われている」と誤解している事実を目にすると暗澹とした気持になる。「反戦=反軍人」と誤解させる事で賛戦派の数を増やそうとする作戦は卑怯だ。
写真や画面で伝わって来る戦争は、本物の戦争じゃない。死臭も、破片も砂も、爆撃の震動も伝わって来ない。戦時下の生活のすさまじい苦労の中で、私が経験した事があるのは「停電」くらいしかない....(^^;)。それも、たった3日後に電気がついた時の嬉しさを15年以上たった今でも覚えているほどなのだ。もし私が、今、戦時下の電気も水も食料も何も無い生活を強いられたら誰が戦争に勝とうと、「平常」の生活に戻れる事にほっと安堵の溜息をつくと思う。
遺族や実際に被害を受けた一般市民だけでなく、臨月を迎える妊婦さんや赤ちゃんや幼児をかかえるお母さんの不安と苦労を考えただけで痛いほどの同情心が湧き上って来る。
人間には闘争本能がある。特に、男(雄性の強い男)には、その本能が強いだろう。子作り本能と大差無いと思う。子作りの方は、歴史的に色々な宗教や社会慣習が「取り締まろう」として来ているが、結婚制度が確立した社会でも相変わらず不倫も浮気もなくならない様に闘争もなくならないのだ。
ただ、大昔は、闘争をするのは「本人」だった。「私、指揮する人。あなた戦う人(ついでに死ぬ
人・怪我する人...)」という分業は無かった。リーダーたるもの、いつでも死ぬ覚悟(それも残虐な死に方で)、足の一本、腕の一本を失う覚悟があったはずだ。今、トップの政治家に、それだけの覚悟はあるだろうか? 自国民を戦場に送り、一般
市民の命・健康・財産を奪うだけの責任を取っているつもりか?
もし、先制攻撃的戦争に賛成する政治家は「指をつめる」という国際規定があったら、今回の戦争は始まっていただろうか???
【中マダム】英国に棲息する事16年(ロンドン8年村8年)、中国人の夫と男児ふたりとともにイギリスの秩父(ちょっと違う?)に在住。英国と英国人の温厚な「地味さ」と「ユーモア」が好きです。
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KAZUMI@ロサンゼルスの目 01
(received on 06.Apr.03米国時間)
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【長めの自己紹介】
私はアメリカに住んで、今年で早くも26年目に入ってしまいました。最初の数年は、語学力もまったく身についていない状態だったので、アメリカにただ住んでいた、というだけで、表面
的なことを経験していただけです。しかし、少しずついろいろなことを知るようになって、逆にこれだけ長く住んでも、「本当」のアメリカ人と言うのはなんであるのか、知ろうとすればするほどその多様ぶりが目の前に広がっていってしまい、ますます混乱していくばかりです。
昔からアメリカは、メルティング・ポット(人種の坩堝)と言われていたが、実際はいろんな要素が「共存」しているだけの、「サラダ・ボウル」だ、という説を耳にします。私にとって、アメリカは、単なる人種や宗教を越えて、政治的に保守的かリベラルか中道か、または社会における経済的な位
置づけや目には見えない階級制度等など、それぞれが各自の円の中に入って暮らしている、大小の円の集まりのように感じるのです。円と円は、小学校の算数の教科書で見たように、お互い部分的に重なり合って、影のような共通
項を持っているし、大きな円の中に、もっと小さな円がいくつか、すっぽり入っている場合もあると思います。
今回、イラクとの戦争が起きて、世論はそうかもしれないけど、私のまわりではみなブッシュなんか支持していません、とか、また逆に、主人も私も大統領を支持してるし、まわりの友人もそうです、暗にあなた達のほうが少数派なんですよ、ということを言っている意見をよく見るのですが、私も、日系人、という円を越えたところで、あるひとつの円の中にすっぽり埋まって生活しているため、私の家族や友人達が、似たような考えを持っている、という方が、たとえ円の外はどうあれ当然なんだろうな、と思ったりするわけです。
たとえば、息子の学校では、無理やり思想統制?みたいな作文を書かせたりしないし、平和の祈りの集会に参加しない?みたいなことを、仲の良い親同士が誘い合ったりするような雰囲気があるので、比較的「リベラル」な方なんだろうな、と思うのですが、そもそもそういう学校を子供のために選んでいる、ということ自体が、無意識に、自分の考えや意見に近い人の集まっている場所を、最初から選んでいたのだ、と最近気づきました。
なので、その円の外の考えを理解することは非常に難しくて、共通項を持つ円グループとは多少接点もあるのですが、たとえば、ファンダメンタリストというか、キリスト原理教の人々(彼らの属する円は、アメリカでも巨大なもののひとつらしいので、それが理解できないと言うことは、根本的にアメリカが理解できない、ということになるかもしれないのですが)、特に宗教的な観点からブッシュ大統領をサポートする人々とは残念ながら、私はまったく接点を持たないので、言っている事を聞いても違和感が沸き起こるばかりで、まったく「わからない」になっちゃいます。他の国に戦争をしかけるのに、「神」を持ち出されるのが、私がブッシュに対し、一番不愉快であり、かつ違和感を覚える点なので・・。
なので、これから書くことは、あくまでもその「円」の中から見た視点です。
【「自由」というBUZZ WORD】
私は、人種や宗教のみならず、ありとあらゆる面で、非常に多様化して、意見や利益の対象も常に食い違い、時には大きく対立しているアメリカという社会を、数学の方式のように大きな項目でひとつにグワッとひっくくってしまったのが、9月11日の事件ではないか、と思うのです。
しかし、あれから時間がたって、そのタガは、随分緩んだように感じます。イラク戦争が始まって10日以上経った今、道を走る車も、9月11日直後のように、星条旗をつけて走っている車ばかりではないし(どちらかというとあまり見かけなくなった)、私の住むブロックでも、22、3軒のうち、星条旗を出している家は・・と試しに数えてみると、5、6軒くらい・・・。しかし、これはまあ、地域にもよると言われれば、反論は出来ません。実際、義母(アメリカ人)の住むリタイアメント・コミュニティーに行くと、急にアメリカ国旗が、ずらりと並んで風になびいているので。
しかし、9月11日直後は、新聞から雑誌まで、愛国心丸出しの報道で、特にテレビなどは、どの局でもあまりにも一方的過ぎる報道につくづく嫌気がさしたので、もっぱらパブリック・ラジオの報道だけを聞いていましたが(パブリックラジオは、少なくともアメリカ内ではかなりバランスの取れた、報道の良心というものが、海の孤島のようにぽつんと残っている場所だと思います)。今回、ロサンゼルスタイムスやニューヨークタイムスを読んでいても、前回ほどメディアが、一枚岩となって戦争を支持している、という印象は、私自身、本当に受けないのです。(もちろん保守派系の新聞にも満遍なく目を通
している、という訳ではないので、そういう方はかなり相変わらず一方的でしょうが。)
たとえば、今反米の気持ちを強く抱いている世界の人々や、国内でも反戦派やLEFT WINGにとっては、アメリカ寄りの報道だけで一方的、または生ぬ
るいと厳しく批判されるニューヨークタイムスですが、一方で、軒並み右寄り・保守派のホスト達が日々放送している、KABCのトークラジオ番組などを聞くと、彼ら、とにかく連日、新聞やメディアの報道に関して、実にカンカンになって怒っているんです。
「今朝のNYタイムスの1面記事は、絶対許せない、戦場にいる兵士達の意気をそぐじゃないか!」とがなりたてるので、一体何が書いてあるのかと買ってみると(今のブッシュ政権に疑問を抱く側の人間にとっては、特に何をそんなに怒っているのかまったく判らない、無害な記事ばかりではあるんだけど)、たしかに、バグダットを占領することの代償の大きさ、とか、英国内におけるアメリカ軍に対する批判の声とか、戦時下の大統領としてのブッシュのリーダーシップに対する懸念、戦争に使ってしまうおかげで、国内の予算が今後、何年にも渡ってあらゆる面
で大幅にカットされることなどについて、それほどバランスは悪くはない・・・と少なくとも私には思える類の記事が、けっこう載っています。正直言って、今回のイラク戦争に関して、多数のアメリカ人が(どういうグループに属しているのかにもよるのだけれど)心の中では、かなりアンビバラントな感情を抱いているのが、今回メディアにも微妙に現れているんじゃなかろうか、と言うのが、私の印象です。
しかし、それと同時に、今やアメリカ国民が80%近く戦争を支持している、ということも動かせない事実であって、今回、様々な思惑や社会的な違いを越えて、アメリカ人を結んでいる「共通
項」とは何なのだろう、というのが、今の私が、日々考えていると同時に、よくわからないのでもっとよく知りたい、と願っていることです。もちろんクリスチャン・コアリション派など、宗教に結びついた右派を中心として、それだけブッシュ支持派の数が多いのだろうか、とも思うんだけど、前回の9月11日の時に、「襲われるという恐怖心」という大きな一つのカッコだけでなくて、今回の場合、「共通
項」は、いくつか存在するような気がする。今のブッシュ政権は、その共通項を掛け算的に、またはプロパガンダ的に、非常に上手く利用しているのじゃないか、という気持ちは、日々強くなります。
ひとつ感じるのは、その国の人間だけが敏感に反応する、一種の「BUZZ WORD」というのがあるのでは、ということです。キーワード、と言っても良いのかもしれないけれど、それよりもっと、ビーッと鳴ると、それが聞こえる人だけが、思わずビクッと反応してしまう、そういう言葉です。
日本人だと、「原爆」「戦争」「軍」などという言葉に、つい過敏に反応しますが、アメリカ人にもそれがあって、この場合は「FREEDOM(自由)」。自由が脅かされる、とか、自由のために戦う、などと言われると、アメリカ人と言うのはどうしても、つい反応してしまうのではないか、と時々思います。戦争の作戦のネーミングについても、以前はたしかオペレーション・デザートストームとか、デザート・フォックス(砂嵐作戦とか、砂漠のキツネ)というような名前がついていたのに、9月11日以降は「自由の盾」作戦とか、「イラクの自由」とか、やたらフリーダムフリーダムとこれじゃなんだか、フリーダムの大安売り(例のフレンチ・フライがどうの、という話は言うまでもなく)。 実際、戦争の作戦の名前は、以前は軍がつけていたらしいのだけど、今は政治家がつけてるらしいのです。
ブッシュはすぐ「自由を守るために勇敢に戦っている我々の兵士達が・・・」などと言うけど、日本人の私には、現実にイラクがいつ、こっちの「自由」を脅かしたのか、その意味がちっともピンとこない。それは仮にテロがどんどん起きたとして、日々の安全が脅かされれば、その結果
、我々の自由というものも、危険に晒されるのかもしれないけれど、そういう意味で言ってるのだ、と誰ひとり定義づけてくれてるわけじゃありません。戦争に対する「大義」「名目」などと言うよりも、アメリカのテレビがワイドショー的にその言葉を使うたびに、「BUZZ WORD」という表現がピッタリだ、つくづく思ってしまいます。
なので、イラクも「先制攻撃を仕掛ける」というと非常に居心地が悪いんだけれども、「自由のために解放する」と言いかえれば、それならOK、ということになってしまう。彼らを「自由」にしてあげなくちゃ、と思ってしまう。アメリカ人の心理の中で、残念ながら、多かれ少なかれ、そういうすげ替えが行われているんじゃないかと思うのですが・・・。
【KAZUMI@ロサンゼルス】ミドル・ティーンの時にアメリカへ高校留学し、その後そのままアメリカに残り、現在アメリカ人と結婚して2人の男児の母親。現在、カリフォルニア州ロサンゼルス市在住、在米26年。
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澤さんからのメール ROOM AIR展のお知らせ
(received on 05 Apr.03英国時間)
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(友人の澤文也さんから届いたメールをご紹介します。澤さんが企画するROOM AIR展のお知らせが主な内容ですが、お知らせに続く澤さんのコメントをお読みいただきたく、本人の許可を得て転載します。ヨーコ・オノが平和の構築のための提言のひとつとしてアジアやアフリカに旅してそこに友人ができるまで留まることを提唱しましたが、澤さんはずっと前からこれを実践しています。かれのように実際に旅に出るのは難しくても、わたしたちはをネットを通
じて世界に友人を持つことができます。もしかするとこれが世界から戦争をなくす、遠そうでもっとも近い道かもしれません。なお、ROOM
AIR展に参加希望のかたはわたし宛にメールをください。澤さんに転送します。)
みなさん、こんにちは。イラク戦争に謎の肺炎SARSと憂鬱になることばかり続きますが、いかがお過ごしでしょうか?
graf/gmでのmy room somehow somewhere展に引き続き、4月26日から5月24日まで台湾・台北市の伊通
公園で予定通りROOM AIR展を行います。共同企画者のキャプテン細木は本日ガラガラのキャセイパシフィック航空で台北に向かいました。オープニングは4月26日の夜7時からです。20日ごろから2泊3日で海中温泉で有名な東シナ海に浮かぶ緑島への貸切バスツアーも予定してます。SARSは心配ですが、マスクを持ってこぞってあそびに来てください。
www.home-room.org でROOM AIRのロゴをクリック!
my room展は市橋なお子さんが
http://www.happyhour.jp/eyes "back"をクリックしての2月で、
原久子さんが
http://www.hi-ho.ne.jp/gallery/art/172/03.html
でレビューしてくれました。
「旅と移動」がテーマの展覧会ですが、僕のはじめての海外旅行は二十数年前の高校1年の夏休みにアルバイトで行ったクウェートでした。工事現場でイラクをはじめ中近東諸国からの出稼ぎのおっちゃんたち約30人の面
倒を見ていました。そしてアラビア語を教えてもらったりして面倒見てもらっていました。楽しかった想い出ばかりの「遠い」場所は英米軍のイラク攻撃拠点として毎日リアルタイムでテレビで目にし不思議な気分です。慣れることなく胸が痛みます。おっちゃんたちも心配です。どうにもできなくやるせない。
【澤文也】つい最近まで近所に住んでいた澤さんは、いまは日本にいるらしい。米軍のアフガニスタン空爆直前にはアフガン北部を旅していたし、20数年前にはクウェートにもいた。本業はなんだかよくわからないが、いつも旅をしている。だから世界中に知り合いがいて、世界のどこで戦争が始まってもかれの胸は痛むのだと思う。(藤澤みどり)
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意見:アメリカのイラク侵略と日本の役割 阿部政雄
(received on 07.Apr.03英国時間)
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(前号掲載「フセイン悪魔論の危険性」の文中で某MLへの投稿を転載させていただいた阿部政雄さんより投稿がありました。阿部さんについては文末をご覧ください。)
アメリカはとうとう歴史的な平安の都バグダードへの侵攻を開始した。
あの黒煙の立ち上るバグダードの空の下で、殺傷されるバグダードの人びと、そしてその中には、きっと親しい友人、知人が含まれていると思うと平衡感覚がおかしくなるような憤りが身体の中を駆け巡る。
ダグラス・ラミス氏が「イラク戦争を考えるチェッキングリスト」の中で述べているように、イラクはアメリカの攻撃を受けるような悪いことは何一つしていなのにもかかわらずにである。(このチェッキングリストの出典は、ラミスさんのお嬢さんのサイト「はてみ」)
http://www.hatemi.jp/
アメリカの行為は正に火付け強盗の大悪党の仕業ではないか。小泉氏は、それを友好国として「諌め」もしないで、支持協力をいち早く宣言するとは、なんと戯け(たわけ)たことを恥かしげもなく言うものかと「悪い夢」でも見ているような息苦しさを感じる。戦中派として許せないのは、それを日本の首相でございと言う顔をして公言しているのだから、余計に腹立たしい。それに一体そんなアメリカへの協力費を国民の税金で当てるなんてとんでもない。S氏の名台詞ではないが「あなたとは白紙の契約書に署名捺印した覚えはない」んだよ。「ああ、純一郎、君を泣く 君、ぼけたもうこと勿れ」と叫びたい。
この怒りなかなかおさまりそうもないので、小泉氏と彼を首領と仰いでいる閣僚たちに贈りたい諺(ことわざ)がある。
狡兎(こうと)死んで走狗煮らる ー用済みの日本は料理される
つまり、狡兎(かしこい兎ー−一応イラクとしておこう)という獲物を主人に命じられたら一目散に走って追っかけて行く身も心も軽い忠犬ハチ公みたいな猟犬が小泉氏の姿に思えてならない。
おまけにこの猟犬、兎が捕まったので、御褒美がもらえると思っていたら、兎が獲れて用がなくなったので、こんどは食料として煮て食べられてしまう運命が待っているような気がしてならない。
というのは、豊富な石油、水資源、人材に恵まれたイラクが、急速に近代工業国家に成長して行くことを見のがしていたら、石油収入をアメリカの銀行に預金せぬ
「ならず者国家」の筆頭であり、中東の石油権益支配の憲兵であり、民族浄化による拡張主義国家イスラエルの存在を脅かすイラクのような国が他のアラブに真似られていったら、アメリカのグローバリゼーション政策に風穴があいてしまう。何としてでも1日も早くイラクを潰してしまおうと言うのがネオコンの一大戦略だからである。
【アメリカの強力なライバル、日本の弱体化をねらう】
おまけに、借金財政、貿易赤字と二重の経済的不安をかかえるアメリカには、国際法だの、正義などは気にしている余裕は最早存在しない。平和な家庭に火をつけて、金目のものを強奪し、その廃虚の再建の仕事をひとり占めしてまた儲けるというネオコン一派の悪行は、シェークスピアの劇に登場してくる悪人などまるで子どもに思えるほど巨大で異常である。
おのが野望の前途を邪魔するやつは、イラク同様に始末すると言う脅しを世界にかけようとしているこの一国単独主義の超大国アメリカは、その競争相手になる国の存在は、情け無用とばかりに潰しにかかった。宇宙開発競争に旧ソ連を誘い込み、ついにソ連の経済を破滅させてソ連を崩壊させることに成功した。
一方、1960年代の繊維から始まって、その鉄鋼、自動車、半導体、VTRなど輸出超過が絶えずアメリカ経済をおびやかしてきた日本こそソ連の次には、日本だと言われるくらいアメリカにとっていつか壊滅させたい競争相手である。アメリカのネオコンにとって日本は弱体化し、より従属させねばならない要注意国のトップであった。
【中東地域から日本の追い出しも大きな目標】
まして日本が、アラブ産油国がオイルドラ−で潤っていた頃、アラブ諸国に進出してアラブの経済建設に大きな声望を獲得していたのは、恐らく砂を噛むような思いでじっと見つめていたに違いない。まして、オイルショックの直後に田中角栄首相がダレス国務長官の警告をよそに、「アラブ石油のアラブと直接取り引き(direct
deal)」を主張しようとしたため、田中のロッキード機購入にまつわるスキャンダルをアメリカの新聞で暴露し、彼の失脚を演出したアメリカの謀略の底深さは記憶に新しいところである。
湾岸戦争の際にも、アメリカは日本に135億ドルの貢献金を貢がせたばかりでなく、自衛隊まで派遣させようとしたが、当時はまだハト派だった海部首相によって貢献金(バカにならない金額でその金額分はそっくりアメリカの懐に)だけで、踏み止まることができた。しかし、これが「日本の一国平和主義」という国際的な非難キャンぺーンの対象とされ騒がれ、「金だけでなく旗を見せろ」の大合唱の中で、日本の軍国主義の路線が急ピッチに進展してきた。そして、遠慮なく書かせてもらえば、その旗ふりの総大将が、かの中曽根康弘大勲位
である。
皮肉なことに、1990年の湾岸危機が始まる直前、中曽根氏はリクルート疑獄事件で最大の金額を受領したという黒に近い嫌疑受け、筆者は、国会で証人喚問され、慎重に言葉を選んで何とか必死に逃れようとしていた中曽根氏の姿をテレビで見つめていた。確か、自民党からも離党を勧告され、牙を抜かれた一匹狼のような存在であった。
【湾岸戦争後の日本の戦前回帰は中曽根氏の復党から】
そこに、突如、降って涌いたように起こったのが、イラクのクウエイト侵攻(この誘い込みにイラクがのったのは罠にはまったのであったが)であり、そこから派生した日本人人質事件であた。当時の週刊誌の切り抜きを讀むと、日本の外務省はまともな手を何一つ打たなかったようだ。
一説によれば、中曽根氏は、通産大臣の時にイラクへの経済借款を与えたと言うイラク政府とのつながりを活用し、中曽根氏をバグダードに訪問させれば、人質問題の解決に有効ではないかという「中曽根コール」を在イラクの日本商社筋から出させ、結局佐藤孝行氏を団長とする自民党代表団の一員としてバクダードに赴いたのである。しかし、なんと言っても、元総理であり、フセイン大統領とも多少の面
識があったと言うことで、何となく人質解放に役立ったと言う形になり(実質的には当時バクダード入りして活躍したアントニオ猪木議員の方がより大きな役割を演じたのであったが)、中曽根氏の自民党復党が実現し、その後、日本の戦前回帰の復古路線の協力の推進者として采配を振い、とにかく、大勲位
にまで上り詰めることとあいなったのは多くの人が知っていらっしゃる通りである。
今、中曽根氏はイラク叩きの最右翼であるが、一つ間違えば小菅の刑務所行きの身だったのが、イラクでフセイン大統領まで会えたお陰で、今日、元総理として威張っておられるのも、イラクあってのことと言えなくもない。もっとも永田町でも、「最も冷たい性格の持ち主」という冷徹な中曽根氏には、そんな義理、人情など政治の世界に何の意味もないと宣(のたま)うだろうが。
【アメリカへの盲従は、日本ばかりかアメリカの破滅へ】
大分脱線気味なので、話を元に戻すと、つまり、邪魔者、障害物はすべて「消えてもらおう」というハリウッドのマフィア顔負けのアメリカのネオコンにとっては、アメリカの将来最大のライバルになる潜在能力を持つ日本にイラクの仕事など美味しい部分は渡しっこない。
それどころか、アメリカは、日本がイラクで1970年代末から、80年代なかばまで、イラクの主要なプラント、とりわけバグダードの経済建設には、大きな実績を残し、将来イラクを再建させるのに最も相応しいのは日本だと今でもイラクの政府も一般
のイラク人が信じ込まれてきたことが目障りでならないのである。このイラクと日本と密接な関係というアメリカにとってもっとも忌わしい事態を何とか御破算にしたいと言うのが彼らのねらいであった。
アメリカにとって、幸いなことは、一昔前の、三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫といって骨のある政治家が他界し、アメリカが頼まなくても、アメリカが感激するくらいアメリカに従順で忠誠を誓う政治家が日本に多くなったので、アメリカは「日本の政治家とはこんなものか」と内心ほくそ笑んでいるのではないか。
大体、イラクの戦争がまだ終わってはいない。バグダードも陥落したわけでなく、アメリカの占領した地域のイラク人が、侵略してきたアメリカ人に好感を抱いているなど、考えようもない。それを僅かなアメリカの軍隊でどう統治できるだろうか。元国連査察官のスコット・リッター氏も「米英軍は負けるであろう」と予言している。そこしな街目で見ればそれは間違いないと筆者は思う。湾岸戦争で生活関連のインフラを徹底的に破壊し、劣化ウランを惜しみなく降り注ぎ、12年を越す経済制裁を続けて、多くのイラク人の生命を奪ったアメリカ軍をイラク人が解放軍として歓迎すると思えと言う人びとがいたら、顔が見たいくらいである。
今のままでは、イラク人は日本政府にすっかり愛想をつかす日が近いかも知れないが、日本人にはまだ愛着を持っているようだ。この親日感情を反日感情に切り替える手段をアメリカは日本の政治家たちが討議する時間的余裕も与えないで、矢継ぎ早に、自衛隊派遣まで実現させて、徹底的にイラクや中東地域(とくにパレスチナ)で「手を汚させ」「血まみれにして」しまえば勝ちなのである。そうすれば親日感情と言う日本にとってかけがえのない資産は「反日感情」という負の遺産に一挙に転換させられてしまうのである。
【教育基本法の熟読で日本人としての誇りを取り戻せ】
冒頭の「狡兎(こうと)死んで走狗煮らる 」の諺のように、アメリカは「おれたちだけが汗を流した」(イラクを侵略し、イラク人を虐殺した)のだから、その代償として石油を一人占めしたいと言うのである。美味しい兎はこれからゆっくり料理することにして、もう御用済みの猟犬など煮るなり、焼くなりして食べてしまえばいいのである。小泉さん、あなたはアメリカの政治家じゃないんだから、まず、日本を、つまりわれわれ日本人をアメリカの食卓にのせるような、日本の歴史に泥を塗るような情けないことだけはしないでほしい。
アメリカのイラクへの火付け強盗の悪行の片棒を担ぐことなど、あなたは共犯者として歴史に刻み込まれることぐらい考えてほしい。なんで日本の首相がそれだけ、アメリカに卑屈になるのかよく分からない。この辺のところを国民に納得できるように説明すべきだと思う。それが説明できないようだったら、原稿の憲法と教育基本法を熟読すべきである。日本人としての襟度も持たないで、教育基本法の改悪なんてとんでもない。「修身斎家治国平天下」である。まずアメリカにも道々と是は是、非は非とはっきりものを言うべきではないか。
【阿部政雄】元東海大講師の阿部政雄さん(74)は、これまでイラクを14回訪れ市民と接してきた。85年からは在日イラク大使館の非常勤のスタッフとしてイスラム諸国と日本の橋渡しとなってきた。(毎日Interactiveより)
http://www12.mainichi.co.jp/news/search-news/874838/88a2959490ad97Y-0-1.html
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見捨てられた街から(アジアスケッチ第26回)高山義浩
【国際保健通信】International Health News Vol.32より
(received on 05 Apr.03日本時間)
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(メールマガジン「国際保険通信」掲載のテキストを著者の許可をいただいて転載します。著者のメールアドレス、ホームページのアドレスは文末をご覧ください。)
2000年3月にMSNジャーナルおよびアジアスケッチMMにて、お送りした記事です。本日、バグダッドにて地上戦がはじまりました。現地で繰り広げられているのは両軍の激しい戦闘だけではないはずです。少しでもバグダッドの人々に想いをはせていただければと・・・
【経済封鎖下のイラク】
サダム・フセイン大統領の指揮のもと、イラクがクウェートに侵攻して以来、対イラク経済制裁はかれこれ8年目に突入している。経済の大部分を石油輸出に依存していたイラクでは、その徹底的な封じ込めにより大きな人的被害にまで発展している。そして、その被害者の大半が貧しい家庭、そして子供たちである。
制裁を監視する国連諸機関の推定によると、イラクの乳幼児死亡率は制裁前の3.7%から12%にまで上昇し、少なくとも50万人のイラク人乳児が制裁のために死亡したとされる。しかし、これも少なめに見積もってである。食料が配給制となっているイラクでは、子供が死んでも、食糧配給を受け続けるため、家族がその死を隠してしまうからだ。
サダムもまた犠牲者の拡大に無頓着どころか、反米プロパガンダを目的として、被害を明らかに拡大させようとしているように見える。たとえば、現在、イラク政府はすべての人道援助の受け入れを拒否している。まるでイラク市民は、自分たちの指導者に人質にされた子供のようだ。一方、国際社会は子供を人質にとっている犯罪者を兵糧攻めにして、「子供を殺すのは我々ではない、あの犯罪者だ」と主張している。あまりにも低レベルな国際政治の狭間で、イラクの人々は苦しみ続けている。
今回のアジアスケッチで紹介するのは、こうした経済封鎖のもとで生きる、あるバグダッドの母子家庭の物語である。
【カーズィム家を訪れて】
「ほんとうによくいらっしゃいました。暑い中を大変だったでございましょう」
イラクの首都バグダッドに到着した翌日、カーズィム家を訪問すると、イマーンさんが英国調の気品ある英語で迎え入れてくれた。アラブ独特のがっしりした石造りの平屋建てだが、絨毯を敷き詰めた屋内は、家庭の温もりに満ちている。もっとも、お邪魔した僕が何よりほっと一息ついたのは、イマーンさんが早速差し出してくれた1杯のオレンジジュースのおかげだろう。外は50度近い気温だった。
イマーンさんは、御主人をイラン・イラク戦争時に亡くされており、いまは大学生の息子ハッサンと2人暮らしだ。そう、あの太って汗っかきのハッサンのことは、容易に忘れられるものではない。ハッサンは無類の世話好きで、誰にも通
じないジョークが得意だった。
実は、僕にとってバグダッドを訪れるのは、これで3回目になる。イラクは本来、日本人の渡航が制限されているのだが、3年前に結成された『日本イラク医学生会議』の団長として、僕は97年、98年と2年連続してここを訪れてきた。政治的なことは抜きにして、イラクの医学生たちと交流し、東西アジアの相互理解を深めるためだった。制裁ではなく交流こそが平和を築く礎となる一例を、世界に紹介したいと僕たちは考えていた。
そして、僕がバグダッド大学を最初に表敬訪問したとき、ハッサンは突然あらわれ、訪問団のために学内を案内する役をかって出てくれたのだ。それどころか、ひととおり案内したあと、「明日の午後、ぜひ俺の家に遊びに来てくれよ! 俺の素晴らしいお袋を紹介してやるから」と熱意あふれる目で僕らを招待してくれたのだった。
「お袋を紹介したいんだよ! そうさ、心配はいらない。教養のある彼女は、英語だって俺なんかよりよっぽど上手だから。実はね、彼女はクリスチャンなんだよ。そうそう、お袋はね・・・」
翌日、彼の家の門扉を開くまで、ハッサンの母親自慢は続いたものだった。
あれから2年が過ぎ、僕は再びカーズィム家を訪れていた。イマーンさんは、僕を客間に案内し、そしてお茶を沸かし、スイカを切って出してくれた。お茶もスイカも手に入れるのは困難だったに違いないのに...
かわらぬ暖かなもてなしが、僕の心にしみた。しかしなぜか、あの日にくらべ、この家は疲れ切っているかのように感じられた。
僕は、何かを話そうとあせりながら、何も言い出せずにいた。どれだけ頭をめぐらせても、頭の底に暗い闇があって、そこにすべての言葉が吸い込まれていくのだ。ついに僕はあきらめて、目に見えていることをそのまま言葉にした。
「庭にコンクリートの箱のようなものがありますね」
イマーンさんは、深々とソファーに沈み込ませていた体を、ゆっくりと起き上がらせ、こう教えてくれた。
「ええ、あれはですね。シェルターの入り口でございますのよ」
「シェルター? 防空シェルターですか?」
「ええ、そうですの。いまは我が家の食糧倉庫なのですが...」
そう言うと、イマーンさんは初めて笑顔を覗かせた。
「イラン・イラク戦争のときは、毎日のように息子と逃げ込んだものです」
「僕には想像もつかない生活ですね。大変だったでしょう」
「ええ、確かにあの戦争はストレスでした。空襲警報が鳴り、シェルターに避難する日々です。でも、今から思えば、心配事といえば《いつ落ちてくるか分からない爆弾》だけですから気が楽でございました。生きるので精一杯でしたが、生きている実感がありましたもの」
「つまり、いまの経済封鎖の方が厳しいという...」
「この世界からの孤立は《いつもそこにあるもの》なのです。世界から見捨てられたという現実です。シェルターに入っても逃れることはできません。本当に絞めつけられるように、日々、私たちは経済封鎖に直面
しているのでございます。でも、あの頃はまだ夢がありました」
そして、イマーンさんは、80年代の思い出を懐かしそうに語りはじめた。
イラン・イラク戦争は何のためだったのか分からぬまま終わった。とはいえ、ようやく落ち着いた生活を手に入れ、息子を育てることができた。イラク社会経済が急速に発展した時期であり、彼女は「欲しいものが何でも手に入る、今から考えれば夢のような日々でした」と振りかえる。
しかし、彼女の人生で、平和が長続きしたためしはなかった。
【湾岸戦争、そして封鎖】
1991年1月、湾岸戦争が突然に発生した。何も知らぬイマーンさんにとっては青天の霹靂だった。ある穏やかな夜、爆弾がはらはらと熱い涙のようにバグダッドへ降り注いだ。第2次世界大戦、中東戦争、イラン・イラク戦争と、戦争を紡ぐかのようなイマーンさんの人生は、また新たな戦争を迎えたのだった。
幸い、イラン・イラク戦争中に建てた現在の住居は、シェルター付きの頑丈な作りだったので、ことなきをえた。しかし、本当の闘いは湾岸戦争終結後にやってきた。同盟国がひとつもない状態での経済封鎖である。水道、電気などのライフラインを爆撃で完全に破壊されていたイラクの市民は、復興どころか、その状態のままいかに生きのびるかが問われたのである。
「苦しい、ほんとうに苦しいです。言葉にできないぐらい、毎日が苦しいですのよ。配給だけでは食べていけません、私たちは、家具を売りました、車を売りました、服を売りました、思い出のあるものを泣く泣く手放しながら生きております。しかし、もう手放せるものは無くなりました。すべて、何もかもを失いました。これからが勝負でございましょう」
「勝負」という言葉に、生きぬくための「本当の意味での闘い」を僕は感じた。
「経済制裁によって、コミュニティーが、そして私たちひとりひとりが試されているのです。貧しかった者たちは制裁によって物乞いになりました。彼らをどう助けるのか、これが私たちに問われています。そして、各自は浪費していた生活をあらため、質素に、効率的に生きることが問われています。イラクは女性の教育レベルが高かったことが幸いしました。家事をやりくりできるからです。たとえば、配給は小麦粉なので、自分でパンを焼かなければなりません。だれもが、本を読んでパンの焼き方を身につけました。しかし、なかには教育のない女性もいて、彼女たちはパン屋に小麦粉を持って行かざるをえません。すると、当然、小麦粉の一部はパン屋に代金がわりに取られます。この削られた栄養が、いまのイラクでは生死をわかっているのですよ」
「勝負はこれからというのは?」
「この経済制裁の市民への影響は、実はこれから明らかになるのです。わたしたちのような中産階級が、財産をすべて失いはじめています。もう物乞いに与えるお金も食べ物もありません。やがて、物乞いが死にはじめるでしょう。そして、私たちも時間の問題なのです」
「なぜ国外へ脱出しないのですか?」
僕の質問にイマーンさんは、息子の浅知恵を正すように微笑みながらこう教えてくれた。
「難民になってうろうろするよりは、住みなれたこの家で暮らすのがいいのです。30代までなら新しい生活をはじめる元気はあったことでしょう。でも、もうすぐ60を迎える私に何ができましょう。家を探し、生活道具をそろえ、何よりその資金を工面
するだけで精魂尽き果ててしまいます。年寄りにとって、運命は受け入れる以外、すべて苦しみを膨らませるだけでございましょう」
1996年末、イラク石油の部分的輸出が認められているが、イマーンさんは一般市民にはあまり関係のないことだと言う。イラク経済は立ち直りをみせているとも言われるが、活気づいているのは一部の商人たちであって、給料や年金をディナール(イラクの通
貨)で受け取っている一般人には、物資は入ってきていても、それを買うことが出来ないままでいる。実際、彼女が受け取っている遺族年金1ヶ月分で、石鹸1個すら買えないのだ。
「運命はときどき、いたずらをするものですのね。それが今日、ちょっと分かりましたの。今日は息子の誕生日でしたのよ。あなたのような贈り物が届くなんて、びっくりしましたわ」
イマーンさんのこの言葉の意味が、このとき僕には分からなかった。ただ、その言葉を追いかけてはならないような、そんな気がしただけだった。
「あなた、おいくつ?」 「もうすぐ30歳になります」と僕は答えた。
イマーンさんは、まるで僕の人生をふり返るかのように、黙り込んでいた。長い長い沈黙だった。僕は、飛び去った小鳥に庭木が揺れるのを見やりながら、話の展開を静かに待った。やがて、彼女は僕がいたことを思い出したかのような顔をして、再び口を開いた。
「ねえ、あなた。30年って、永遠みたいに感じませんこと...?」
今度は、僕が黙り込む番だった。
【運命に耐える】
1時間足らずの短い訪問だった。僕はお茶のお礼を言って外へ出た。無力感に激しい日差しが追い討ちをかける。玉
のような汗が吹き出してきて、思わず額を拭った。すると、見送りに出てくださったイマーンさんが、独り言のようにこうつぶやいた。
「先週の水曜日、息子の墓参りに行きましたの。あの日が一番暑かったですのよ」
その言葉に、僕はハッとしてイマーンさんの顔を見た。目からぽろぽろと涙がこぼれ落ちていた。しかし、僕はただ「そうでしたか。イラクは暑い国ですね」と答えた。この国で多くのことを聞いてはならない。去年、共通
の友人が「ハッサンが政治的な理由で逮捕されたんだ。もう出て来れないかもしれない」と言っていたことだけは覚えている。
別れ際、イマーンさんが僕を呼び止めてこう言った。
「戦争に巻き込まれるなんて運命ですのよ。誰にもどうすることもできません。でも、あなた、がんばってください」
僕は「がんばってください」という言葉に耐えぬけるだろうか。チグリス河沿いに歩いて帰りながら、それが、つらく不安で仕方がなかった。
【高山義浩】 ihf-adm@umin.ac.jp
【国際保健通信】( バックナンバーはここで閲覧できます )
http://square.umin.ac.jp/ihf/
【アマゾン・ドットコム】 この記事は全30回のシリーズで、2001年5月に単行本化されています。全国の書店でも入手可能ですが、下記サイトでも販売されています。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4938651351/250-7108521-0601058
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イラク:裏切られた人々 ジョン・ピルジャー 益岡賢 訳
(23 Feb 03 The Independent)
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(2003年2月23日発行のインディペンデント紙に掲載されたJohn Pilgerの原稿A People
Betrayedの全文を、訳者の益岡賢さんの許可をいただいて転載します。たいへん長いものですがぜひお時間を作ってじっくりお読みください。英文の全文が読めるZnetのアドレス、および、益岡さんのホームページのアドレスは文末をご覧ください。)
アル=アリ博士はイラクのバスラにある病院の癌専門医で、英国王立医師協会会員でもある。端正な口ひげを蓄え、優しい皺のある顔立ちをしていた。糊のきいた白衣も、シャツの襟首も、すり切れていた。
「湾岸戦争の前、癌で死亡する患者は月に3、4人でした」と彼は語った。「今では、私の部局だけで、毎月30人から35人の患者が死んでいきます。癌による死者が12倍に増えているのです。私たちの調査では、この地域では、住民の40パーセントから48パーセントが、癌になるでしょう。向こう5年のうちにの話です。こうした状況は、その後も長く続くでしょう。人口の半分近くが、癌になるのです」。
「私自身の家族も、ほとんどが癌にかかっています。過去、私の家系に、癌の記録はありませんでした。正確な汚染源はわかりません。というのも、きちんとした調査を行うための機材を入手することは、許されていないからです。私たちの体の放射能レベルを調べることすらできません。劣化ウランが原因ではないかと強く疑っています。湾岸戦争のときに、南部の戦場で、米英軍が使ったものです。原因が何であれ、ここは、まるでチェルノブイリのようです。この遺伝上の影響は、私たちには初めてのことです」。
「キノコは巨大に育ちます。以前は美しかった川から採れる魚も食べられなくなりました。私の家の庭にあるブドウまでもが変異を起こして、食べられなくなってしまいました」。
廊下で私は小児科医のジナン・ガリブ・ハセン博士に会った。別のときだったら、彼女は活発なと形容できる性格だったかも知れない。けれども、現在は、彼女も、持続的な憂鬱を抱えたような表情をしていた。イラクの人々によく見られる表情である。4歳くらいに見える衰弱した男の子の手をとって、「これがアリ・ラファ・アスワディです」と彼女は子供の名前を教えてくれた。「この子は9歳で、白血病にかかっています。治療することができません。薬は一部しか手に入らないのです。2、3週間分の薬を入手したあと、輸送がとまって薬が入手できなくなったりします。治療は、継続しないと無意味なのです。輸血用バッグが足りないために、輸血さえできません」。
ハセン博士は、自分が救おうとして救えなかった子供たちの写真を収めたアルバムを持っている。青いプルオーバーを着た輝く目を持つ男の子の写
真を指さして、彼女は、「タルム・サレです」と言った。「彼は5歳半で、ホジキン病[悪性リンパ腫]にかかっています。通
常ならば、ホジキン病の患者は生き延びて、95パーセント治療することができます。けれども、ここでは、薬が手に入らないので、合併症を併発し、命を失うことになります。この男の子は、すばらしく気だてがいいのですが、死にました」。
「歩いているとき、時々立ち止まって壁を向きますね」と私は彼女に語りかけた。「そう、感情的になったのです・・・医者ですから、泣いてはいけないのですが、毎日、涙が出ます。これは拷問です。子供たちは、生きることができたのです。生きて、育っていくことが、できたのです。自分の娘や息子が目の前で死んでいくのを見たとき、人はどう思うでしょうか」。
「子供たちの異常と劣化ウランの関係を否定する西側の人々に対して、何か言いたいことはありますか」と私は尋ねた。「それは嘘です。どれだけの証明が必要だというのでしょうか。先天的形成異常と劣化ウランの間には強い関係があります。1991年以前には、こんな現象はまったくありませんでした。関係がないというのなら、どうして昔は異常が起きなかったのでしょうか。病気にかかっている子供たちの多くは、家族に癌が発生した記録などないのです」。
「私は、ヒロシマで何が起きたかも調べました。こことほとんどまったく同じ事態が起きていました。ここでは、先天性形成異常が増加し、悪性腫瘍、白血病、脳腫瘍が増えています。ヒロシマと同じなのです」。
国連が適用した、今年で14年目になる経済封鎖のもとで、イラクは、1991年の湾岸戦争で汚染された戦場の汚染除去に必要な設備も専門知識も手にすることができないでいる。
クウェートの除染を担当した米軍の物理学者ダグ・ロッケ教授は私に次のように話した。「私もイラク南部の多くの人と同じような状態にあります。私の体は、基準レベルの5000倍の放射能に冒されているのです。私のチームに参加したメンバーのほとんどは、すでに死んでしまいました」。
「私たちは、西洋の人々が直面しなくてはならない問題を抱えています。正と邪の観念を備えた人々が直面
しなくてはならない問題を、抱えているのです。その第一は、米国と英国が大量破壊兵器である劣化ウランを使うと決定したことです。戦車の砲弾一発ごとに4500グラムの固形ウラニウムが発射されます。湾岸戦争で行われたのは、ある種の核戦争なのです」。
1991年、英国原子力局の報告は、湾岸戦争で使われた劣化ウランの8パーセントを人々が吸入したとすると、「50万人の死者を生む」可能性があると報じた。米英が現在計画しているイラク攻撃でも、米国は、ふたたび劣化ウランを使うだろう。そして、英国も。そのことを否定してはいるが。
ロッケ教授は、イラク政府関係者が米英の政府筋に、汚染除去と癌の検査のための機材を輸入する点だけでも封鎖を緩和するよう求めたところを目にしたという。「彼らは、死と恐ろしい形態異常について説明したのですが、拒絶されました。・・・痛ましいことでした」。
経済封鎖を管理するために安保理が設立したニューヨークの国連制裁委員会は、アメリカに支配されており、それをイギリスが後押ししている。米国政府は、一連の決定的に重要な医療器材、化学療法のための薬、さらには鎮痛剤の輸出すら、拒否したり遅らせたりした。(「否定」世界の慣用語法では、「妨げる」ことは拒否することを意味し、「待機中」は遅れるか、または妨げることを意味する。)バグダッドの、とある診療所で、私は、医師が両親と子供を診療するのを診ていたことがある。人々の多くは灰色の肌をしており、髪の毛が抜け落ちていた。死にかけている人もいた。2、3人診るごとに、腫瘍の治療を専門とする若いレカー・ファセー・オゼール博士は、英語で次のように書いていた。「薬、なし」。私は、彼女に、病院が発注したけれど、受け取っていないあるいはとぎれとぎれにしか受け取っていない薬を私の手帳に書いてくれるよう頼んだ。まるまる一ページが、薬のリストで一杯になった。
イラクで、私は、「代償を支払う:イラクにおける子供たちの殺害」というドキュメンタリー・フィルムを撮影していた。ロンドンに戻ったとき、私はオゼール博士が書いてくれたリストをキャロル・シコラ教授に見せた。シコラ教授は世界保健機構(WHO)の癌プログラムの委員長であり、英国医学会誌に次のように書いていた。「要求された放射線療法の機材や化学療法の薬品や鎮痛薬は、[制裁委員会の]米国と英国のアドバイザによりいつも阻止されている。こうしたものが化学兵器などの武器に流用できるというのは、馬鹿げた考えであるように思われる」。
シコラ教授は、私に次のように説明した。「ほとんどすべての薬は、英国ではどんな病院でも手に入るものです。極めて標準的な薬です。昨年イラクから戻ってきたとき、私は専門家のグループとともに癌治療に必須の薬品17種類のリストを作成しました。そして、国連に、これらの薬品を生物兵器物質に用いる可能性はないと言いました。その後、国連からは何の連絡もありません」。
「イラクで私が目にした中でもっとも悲しいことは、子供たちが、化学療法を施せず鎮痛薬もないために死んでいくことです。モルヒネさえないのは異様なことです。癌の痛みにはモルヒネがもっとも効果
的なのです。私がイラクにいたときに、痛みに悩む200人の患者にアスピリンの小瓶を配るところを見ました。特定の抗癌剤を投与されることもあり得ますが、それからときおりわずかな薬を得るだけだったりします。何の治療計画も立てられないのです。グロテスクなことです」。
私は、シコラ教授に、国連の制裁委員会が亜酸化窒素を「武器への二重利用」として禁止したことに、ある医師が非常に怒っていたと伝えた。亜酸化窒素は帝王切開時の止血に使われるもので、これにより母体を救うことができるかも知れないものである。「なぜそれを禁止するのかまったくわかりません」と彼は言った。「私は武器の専門家ではありませんが、医療用に必要な量
はとてもわずかですから、国中の医療用亜酸化窒素を集めても、化学兵器を造ることができるとは考えられません」。
デニス・ハリデーは、34年の長いあいだ国連に勤務し、最近では事務総長補佐にもなった、上品なアイルランド人である。彼は、1998年に、国連のイラク人道調整官を辞任した。一般
市民に対する経済封鎖の影響に抗議してのことであった。辞任する際、彼は、理由を次のように述べていた。「経済封鎖政策は、完全に破産している。われわれは、一社会全体を破壊しつつある。そういうことなのだ・・・毎月5000人の子供が死んでゆく。私は、こんな人数の犠牲を出すプログラムを担当したくはない」。
ハリデーに会って印象づけられるのは、その注意深い、けれども妥協しない言葉の背後にある原則である。「私が実施するよう指示されたのは、ジェノサイドの定義に合致するような政策でした。100万人をゆうに超す人々
−子供も大人も− を実質的に殺害してきた意図的な政策なのです。私たちはみな、経済封鎖の代償を払っているのは、イラクの政権
−サダム・フセイン− ではないことを知っています。逆に、彼の権力は強化されたのです。きれいな水がないために子供を失ったり両親を失ったりしているのは普通
の人々です。国連安保理が現在、制御不能状態にあることは明らかです。安保理の行動は、国連憲章に反し、人権宣言に違反し、ジュネーブ条約を犯しているのです。歴史が、責任者たちを裁くでしょう」。
国連内で、長いあいだ続いた集団的沈黙を破ったのがハリデー氏だった。2000年2月13日には、ハリデーの後継としてバグダッドの人道調整官となったハンス・フォン・スポネックも辞任した。ハリデー同様、彼も30年間国連に勤務していた。「自分たちがしたことではないことについて、イラクの一般
市民は、どれだけのあいだ、これほどまでの罰を受け続けなくてはならないのでしょう」と彼は述べていた。その二日後、イラクの世界食料計画(WFP)代表ジュタ・ブルガートが辞任した。彼女もまた、イラクの人々に対してなされていることに耐えられないと語った。
一連の辞任は、前例のないものだった。3名が3名とも、口に出してはならないとされていたことを語っていた。すなわち、ハリデーの推定で100万人以上にのぼる大量
の死に対して、責任があるのは西洋であるという点である。技術的に言えば、食料と医薬品は経済封鎖の例外になっているが、制裁委員会は、頻繁に、乳児食や農業用品、心臓病や癌の薬、重患ベッド用酸素テント、X線撮影機などの求めを拒否したり遅らせたりしてきた。心臓と肺の治療に用いる16の機器が、コンピュータ・チップを含んでいるとして「待機中」扱いにされた。救急車の一群も、医用品の保冷用に真空フラスコが含まれていたため差し止められた。真空フラスコは、制裁委員会により「二重利用」品目に指定されていたのである。「二重利用」というのは、兵器製造に利用される可能性があるという意味である。「差し止め」リストに頻繁に顔を出すところを見ると、塩素のようなクリーニング用の物質も、鉛筆に使われるグラファイトも、一輪車も、「二重利用」品目に数えられているようである。
2001年10月時点で、制裁委員会は、人道的物資に関する1010件の契約 −38億5000万ドル相当−
を「差し止め」ていた。その中には、食料、保健、水道・衛生、農業、教育に関わるものも含まれている。現在、差し止められている物資の額は50億ドルに達している。このことは、西洋メディアではほとんど報道されない。
デニス・ハリデーがイラクで国連上級職員として勤務していたとき、彼のオフィスの玄関広間に陳列棚が据えられていた。そこには、小麦一袋と固形の料理用油と、石鹸など、いくつかの家庭用品が入っていた。「哀れな眺めです」と彼は語った。「これが、私たちが利用を許されている一カ月分の割り当てなのです。タンパク質摂取量
を上げるためにチーズを加えましたが、イラクが許された範囲の石油を売って得た収入で得られる、使って良い予算に残っていた額は十分ではありませんでした」。
ハリデーは、食料輸出は「二枚舌の活動」であるという。この食糧供給について、米国は一日一人あたり2300カロリーをまかなうと称しているが、実際には、せいせい多くて2000カロリーしかまかなうことができない。「不足しているのは、動物性タンパク質、ミネラル、ビタミンです。イラク人の多くは、ほかに収入のみちがないので、食料が交換の媒体になります。食料以外の生活必需品を買うために、食料が売られるのです。そのため、カロリー消費はさらに低下します。子供を学校にやるために、服や靴も買わなくてはなりません。そのために食料を売って栄養失調になった母親は母乳で子供を育てることができず、汚染された水に頼ることになります」。
「浄水と水道、食品の加工と備蓄、冷蔵のための電力、教育と農業が必要です」とハリデーは言う。ハリデーのあとを引き継いだハンス・フォン・スポネックは、「食料のための石油プログラム」が提供するのは、一人当たり年間100ドルであるという。この金額で、電力や水などの社会全体のインフラや必須サービスも支えなくてはならない。
「これだけの額で生き延びるのはまったく無理です」とフォン・スポニックは私に語った。「浄水もなく、1日22時間停電し、大多数の病人は治療を受けられず、毎日を生き延びるだけの生活のトラウマを抱えた社会に、たったこれだけの収入。悪夢というものを目にする思いです。そして、はっきりさせなくてはなりませんが、これは意図的な政策なのです。これまで私は、ジェノサイドという言葉を使いたくありませんでした。けれども、今は、この言葉を使わざるを得ません」。
信じがたい程の人々の命が失われた。ユニセフの調査では、1991年から1998年までに、5歳以下のイラクの子供たち50万人が死亡している。これは、通
常の5歳以下の子供たちの死亡率を差し引いての人数である。一月に、平均5200人の子供たちが、失わなくてすんだはずの命を失ったことになる。
ハンス・フォン・スポニックは次のように述べている。「毎日、167人くらいの子供たちがイラクで死んでゆく」。デニス・ハリデーは、さらに、「大人の犠牲を考慮するならば、犠牲者が100万人をゆうに超えているのはほとんど確実である」と述べる。憂鬱が人々を包み込んでいる。バグダッドのどの競りでも、それが感じられた。そうした競りでは、食べ物や薬を買うために、大切な品々が売られていた。よくあるのはテレビである。二人の幼児を抱えたある女性は、何ペンスかを得るために、乳母車を売っていた。15歳のときから鳩を飼っていたという男性は、最後の鳩を売りに出していた。次に売りに出すのは、鳥かごだろう。
私と撮影スタッフは、見て回っているだけだった。けれども、人々は私たちを歓迎してくれた。中には、困難を抱えてしょんぼりしている人々がそうであるように、まったく私たちのことを意に介さない人たちもいた。イラクで3週間撮影取材をおこなっていて、怒りをぶつけられたのは一度だけだった。「おまえたちは何故子供を殺すのか」とある男性が路上で声をあげた。「何故私たちを爆撃するのか。私たちがおまえたちに何をしたというのだ」。バグダッドにあるユニセフの事務所のガラス製の扉を通
して、ユニセフの職務宣言が見える。「何よりも大切なのは、女性と子供の、生存、希望、発展、敬意、威厳、平等と正義である」。
幸いにして、路上にいる、棒のようにやせ細り、細長い顔立ちをした子供たちは、英語を読めない。もしかすると、そもそも読み書きができないかもしれない。「私の経験の中で、これほど短期間にこんな変化が起きたのははじめてです」。ユニセフのバグダッド事務所の上級代表を務めるアヌパマ・ラオ・シン博士は私にこう言った。
「1989年には、識字率は90パーセントでした。子供を学校にやらない両親は罰せられていました。ストリート・チルドレンなど耳にしたこともありません。イラクは、子供も含む国民の安寧をめぐる全体的な指数で言うと、世界で最良の状態にあった国の一つでした。今は、最下位
の20パーセントの中に入っています」。
長い間ユニセフに務めてきたシン博士は、小柄なグレー・ヘアーの女性であり、その正確な話し方は、彼女が以前インドで教師をしていたことを思い起こさせる。彼女は、私をサダム・シティにある普通
の小学校に連れていってくれた。サダム・シティは、バグダッドの大多数の、そして貧しい人々が住む地域である。学校へ行く道は水が溢れていた。湾岸戦争の爆撃で、下水道と上水道が破壊されたためである。校庭の水たまりを避けながら私たちを案内してくれた校長先生アリ・ハスーンは、校舎の壁を指して言った。「冬には、水がこのあたりまで来ます。そのときには、避難しなくてはなりません」。
「私たちは、できるだけ長く学校を開いて授業を続けますが、机がないので、子供たちは煉瓦の上に座ります」。この話をしているときに、遠くで空襲警報が鳴った。学校は、大規模な工業地帯の廃墟のはずれにあった。下水処理工場のポンプも移動用貯水槽は、わずかに動くところの音がするだけで、あとは沈黙を守っていた。爆撃を逃れた工場も、その後、崩壊した。イギリスやフランス、ドイツ製の部品が、永遠に「差し止め」状態にあるからである。
1991年以前、バグダッドの水道は、先進国同様に安全であった。今では、チグリス川から生水を引いており、死を引き起こす危険がある。1999年のクリスマス直前に、英国通
産省は、イラクの子供たちをジフテリアと黄熱病から予防する予防注射の輸出を制限した。
キム・ホーウェルズ博士は、その理由を議会に次のように説明している。子供たちの予防注射は、「大量
破壊兵器に利用可能なものである」。「競争および消費者問題議会内務補佐」という肩書きは、この人物のオーウェル風発言に、よく似合う。
米英の戦闘機は、イラクで、一方的に宣言した「飛行禁止ゾーン」を飛び回っている。「飛行禁止」というのは、米英とその同盟国だけが飛行できるという意味である。北部のモスル周辺からトルコ国境地帯までと、南部のバグダットのすぐ南からクウェート国境までが「飛行禁止ゾーン」とされている。米英の政府は、この飛行禁止ゾーンは「合法的」なものであると主張している。つまり、国連安保理決議688号の一部であるとか、それにより支持されていると言うのである。
英国政府の主張が疑問に付されるときに、外務省は、この問題の周囲を霧で包む。安保理決議には、飛行禁止ゾーンをめぐる文言は何もない。このことは、飛行禁止ゾーンには国際法的根拠が無いことを示している。
私は、パリに飛び、決議が採択された1992年当時国連の事務総長だったブトロス・ブトロス=ガリ博士に会った。「飛行禁止ゾーンという問題は提案されませんでしたし、議論もされませんでした。一言も、話題に上りませんでした」と彼は私に説明してくれた。「決議は、どの国に対しても、戦闘機をイラクに派遣して攻撃することを許容していません」。「つまり、飛行禁止ゾーンは不法だということでしょうか」と私は訊いた。「そうです。不法です」と彼は答えた。
飛行禁止ゾーンで米英が行っている爆撃は、驚くべき規模である。1998年7月から2000年1月のあいだに、米国空軍と海軍の戦闘機がイラク上空に3万6000回出撃した。そのうち2万4000回は戦闘目的であった。1999年だけで、英米の戦闘機は、1800発以上の爆弾を投下し、450以上の標的を爆破した。このために英国の納税者が支払った金額は、8億ドルを超える。
ほとんど毎週、爆撃が行われている。第二次世界大戦以来、最長の、米英軍による空襲攻撃であるにもかかわらず、米英のメディアではほとんど報道されない。ニューヨーク・タイムズ紙は、あるとき珍しくこの爆撃に言及し、次のように報じた。「実質的に公衆の議論はなされないまま、米軍戦闘機は、整然とイラクを攻撃している。パイロットは、ユーゴスラビアでの78昼夜におよぶ爆撃で行った使命の3分の2に達する出動を行った」。
米英の政府によると、飛行禁止ゾーンの目的は、北部のクルド人と南部のシーア派をサダムの部隊から守ることにあるという。トニー・ブレアは、戦闘機が行っているのは「不可欠の人道的任務」であり、「少数派に自由への希望を与え、自らの運命を決する権利を与えるものである」と述べた。
イラクについてブレアが口にするレトリックの多くと同じように、この発言も単に嘘である。北部イラクのクルド人居住地域で、私がインタビューしたある人は、「連合軍」の航空機が飛来して、世話をしていた羊の群を爆撃したときに、祖父と、父と、4人の兄弟姉妹を失ったと語った。バグダッドから現場へ出向いたハンス・フォン・スポネックは、この攻撃を調査し、それが事実であることを確認した。家畜の群や農民や漁民に加えられた同じような襲撃が何十件も、国連治安部が準備した文書に記録されている。
ウォールストリート・ジャーナル紙は、米国が「純粋なジレンマ」に陥ったと報じている。「イラクで・・・8年にわたり飛行禁止ゾーンを適用したのち、もう軍事標的はほとんど残っていない。『われわれは最後の納屋まで破壊する』と、ある米国政府官僚は述べている。『まだ多少は残っているが、多くはない』」。
まだ、子供たちが残っていた。バスラで最も貧しい地区アル・ジュモリアに米軍のミサイルが的中したときには、6名の子供が死亡した。そして、63人が負傷した。ひどいやけどを負った人々も多かった。ペンタゴンは、これを「付随的被害」と呼んだ。早朝未明にミサイルが着弾した道を、私は歩いてみた。ミサイルは、家の並びに沿って、一軒一軒の家を破壊していた。私は、二人の娘をもつ父に出会った。襲撃直後に、結婚式を専門とする地元の写
真家が、8歳と10歳の娘の写真を撮影していた。二人は寝間着を着ていた。一人は髪にリボンを結んでいた。体は崩れた家の瓦礫に埋もれていた。ベッドで寝ているあいだに爆撃で殺されたのである。この写
真は、私の頭に、こびりついて離れない。
国連事務総長のコフィ・アナンとインタビューするために、私は、ニューヨークに飛んだ。別
人に見えた。声が小さく、聞き取れない程であった。
「イラクを封鎖している国連の事務総長として、日々死んでいくイラクの子供たちの両親に何かいうことはありますか」と私は訊いた。彼は、安保理は「スマートな制裁」を検討中であると述べた。「子供に影響を与えるような荒っぽいものではなく」、「指導者を標的とする」ような制裁を検討していると。国連が創られたのは、人々を助けるためであって、害するためではないのではないか、と私は尋ねた。「イラクで起きたことだけで、私たちを評価しないで下さい」というのが、彼の答えだった。
それから、私は歩いてペーター・ヴァン・ワルサムの事務所に行った。彼は、オランダの国連大使であり、制裁委員会委員長である。地球の反対側にいる2200万人の人々の生殺与奪権を握っているこの外交官の、まるで正反対の考えを同時に抱いているような、西洋のリベラルな政治家にありがちな態度は、印象的だった。一方で、彼は、イラクについて、まるでイラクの人々が皆、サダム・フセインであるかのように話をした。もう一方で、ほとんどのイラク人は犠牲者であり、独裁者の捕虜となっていると信じているようでもあった。
私は、サダム・フセインの犯罪で一般市民が罰を受けなくてはならない理由を尋ねた。「むずかしい問題です」。「制裁は、安保理が利用できる対処法の一つであることを知ってもらわなくてはなりません・・・そして、制裁は、ダメージを与えるものです。軍事的手段と同様です」。「誰を傷つけるのでしょうか」と私は訊いた。「むろん、それが問題です・・・けれども、軍事行動でも、必ず、付随的被害という問題は残ります」。「国民全員が付随的被害だというわけでしょうか。そう考えてよいですか」。「いえ、私が言っているのは、制裁も[似たような]影響を与えるということです。これについては、さらに調査しなくてはなりません」。
「どこに住んでいるか、どのような体制のもとに暮らしているかにかかわらず、あらゆる人には人権があるということを信じていますか」と私は訊いた。「もちろん」。「あなたが適用している制裁は、何百万人もの人々の人権を侵害しているのですが」。「イラク政権も非常に深刻な人権侵害を侵していることが記録されています」。
「それについては誰も疑っていません」と私は言った。「しかし、イラク政権が犯している人権侵害と、あなたの委員会が犯している人権侵害との原理的相違はどこにあるのでしょうか」。「ピルジャーさん、それはとても複雑な問題なのです」。
「これだけ多数の死者を引き起こしている制裁措置は、化学兵器と同じくらい致死的な「大量
破壊兵器だ」と言う人々に対して何かご意見を下さい」。「それが公平な比較だとは思いません」。「50万人の子供たちが死亡するというのは、大量
破壊ではないのでしょうか」。「それが公平な質問だとは思いません。私たちは、隣国を侵略し、大量
破壊兵器を所有している政府が引き起こした状況について話をしているのです」。
「では、パレスチナを占領し、ほとんど毎日のようにレバノンを攻撃しているイスラエルに制裁措置が適用されないのはどうしてでしょうか。300万人のクルド人を家から追放し、3万人のクルド人の死を引き起こしたトルコ政府に制裁措置が適用されないのはなぜでしょうか」。「好ましくない行為を行う国はたくさんあります。どこにでも出かけるわけにはいきません。繰り返しますが、事情は複雑なのです」。「あなたのイラク制裁委員会に、米国はどのくらいの権限を有しているのでしょうか」。「私たちの委員会は、同意に基づいて活動します」。「アメリカが反対したら、どうなるのですか」。「何もしないことになります」。
自分にとって政治的に有利になると見れば、サダム・フセインが、人々を飢えさせたり人権を押さえつけるだろうということは、明らかである。彼が、自分自身と自分の側近たち、そして軍と治安機構の維持だけに腐心していることは、まったく驚きではない。
サダム・フセインの宮殿とスパイは、彼の肖像と同様に、イラクの至る所にある。けれども、ほかの独裁者とちがうところは、彼は、生き延びているだけでなく、湾岸戦争以前には、石油収入を使って人々の人気をある程度得たことである。敵対者を亡命に追い込んだり殺害したサダム・フセインはまた、ほかのアラブの指導者よりも、社会市民インフラを近代化し、先端の病院や学校、大学を建築するために、石油収入をたくさんつぎ込んできた。
こうして、サダムは、比較的大きな、健康で食料を十分に取り、高い教育を受けた中産階級をイラクに作り出した。制裁前のイラクでは、毎日3000カロリーが消費されていた。92パーセントの人が安全な水を飲み、93パーセントが無料の医療サービスを受けることができた。95パーセントという成人の識字率は、世界で最も高い社会の一つであった。経済情報部によると、「イラクの福祉社会は、最近まで、アラブ世界で最も包括的で豊かであった」。
制裁から利益を得ている唯一の人物はサダム・フセインであると言われることがある。彼は、経済制裁を利用して国家権力を中央に集め、イラク市民への統制力を強めた。ほとんどのイラク市民が国家が配給する食糧に依存している現在、組織的な政治的反対派は、その存在を想像することすらむずかしい。いずれにせよ、ほとんどのイラク人にとって、サダムに対する反対の気持ちは、西洋諸国の政府に対する不満と怒りによって上書きされてしまった。
1991年以前に存在していたイラク社会は、比較的開かれ、親西洋的であったが、つねに蜂起の可能性はあった。このことは、1991年に起きたシーア派とクルド人の蜂起からもわかる。現在のようにイラクが包囲された状態では、蜂起の可能性も、ない。宣伝されないが、これも、英米の経済封鎖が達成したことの一つである。
イラクに対する経済封鎖は、とにかく、不道徳であり非人道的であるという理由で、解除されなくてはならない。そのあとで為されるべきことについて、元国連武器査察官のスコット・リッターは次のように述べる。「武器査察官はイラクに戻って、見直しは必要でしょうが、使命を完遂すべきです。もともと量
的な観点から、イラクに存在するすべてのボルトやナット、ねじ、文書を対象とするような武装解除が定義されていました。それを提示しなければ、イラクは決議を遵守しておらず、進歩がないとされたのです」。
「このミッションを、質的な武装解除に変更する必要があります。イラクは現在、化学兵器開発計画をもっているでしょうか。もっていません。長距離ミサイル計画は。これも否です。核兵器も、生物兵器も、計画は有していません。つまり、イラクは質的に武装解除されたと言えるのでしょうか。その通
りなのです。そして、私たちがしなくてはいけないのは、大量破壊兵器を再開発することがないよう、監視することです」。
2002年10月と11月に国連安保理で陰謀が進められる以前から、すでに、イラクは国際原子力機構(IAEA)の査察官の再受入を認めていた。本原稿を書いている2003年2月23日現在、ブッシュが賄賂と脅迫で国連安保理に提出した新決議案は、イラクにおける武器査察団の活動が不明確であると見なしている。スウェーデン人外交官ハンス・ブリックスが率いるこの査察団は、強大な権威をもっている。たとえば、これまでの国連決議で禁止されたことのない武器についても、それを所有しているかどうか、イラク側に「白状」させるよう要求できるのである。ワシントンとロンドンが偽情報を連発しているにもかかわらず、査察団が発見した大量
破壊兵器は、ある査察官の言葉を借りると、「ゼロ」である。
次に、イラク攻撃が待ちかまえている。私たちには、これを「戦争」と呼ぶ権利は、ない。「敵」とされている国の人口の半分は子供である。そして、この国は、われわれに何らの脅威にもなっていないし、われわれと対立してもいない。無数の罪のない命は、いまや、いわゆる国際社会(アメリカは除こう)の自尊心がどれだけ残っているかに、そして巨大な権力のプロパガンダを繰り返すのではなく、真実を伝える自由なジャーナリストがどれだけいるかにかかっている。
イラクへの経済封鎖を求めた国連安保理決議第687号が、同時に、イラクの武装解除は「中東地域から大量
破壊兵器をなくすという目的へ向けた」第一歩であると謳っていることは、ほとんど伝えられていない。つまり、イラクが大量
破壊壁を破棄すれば、あるいは破棄していれば、イスラエルもそうしなくてはならないということである。2001年9月11日以降、イラクに絶え間なく要求を突きつけ、次いでイラクを攻撃すると言いながら、イスラエルのことは見て見ぬ
ふりをするならば、われわれの皆が危機にさらされることになろう。
元国連イラク人道担当官デニス・ハリデーは、次のように言ったことがある。「制裁が長引けば長引くほど、サダム・フセインは穏健に過ぎ、西洋の言うことに耳を貸しすぎると考える世代が育っていくのを、われわれは目にすることになるでしょう」。
イラクで過ごした最後の夜、私は、バグダッドの中心街にあるラバト・ホールに出かけ、イラク国立オーケストラのリハーサルを見た。指揮者のモハメド・アミン・エザトに会いたかったのである。彼の個人的な悲劇は、イラクの人々に対する罰を象徴している。電力が頻繁に途切れるため、イラクの人々は、安い石油ランプを照明や暖房、調理に使わなくてはならなかった。このランプは、よく爆発する。モハメド・アミン・エザトの妻ジェナンも、この爆発の犠牲となった。火柱に包まれたのである。
「私の目の前で、妻は完全に黒こげになってしまいました」と彼は語った。「火柱を消すために、彼女の上に被さりましたが、役に立ちませんでした。妻は死にました。ときどき、私も、一緒に死ねばよかった、と思います」。指揮台に立った彼の、ひどいやけどを負った左腕は動かず、指はやけどで癒着していた。
オーケストラのリハーサルは、チャイコフスキーの「クルミ割り人形」だった。クラリネットのリードとバイオリンの弦がなかった。「輸入することができないのです」と彼は言った。「禁止すると決められたのです」。楽譜は古代の羊皮紙のようにぼろぼろだった。音楽家も、紙を入手できないのである。
元々の団員で残っているのは2人だけだった。ほかの団員は、ヨルダン、そしてさらに遠くへ向かう、長い、危険な旅に出ていた。「彼らを非難することはできません」とモハメド・アミン・エザトは語る。「この国での苦しみは、大きすぎるのですから。どうして、この苦しみが終わっていないのでしょう」。
私は、ある夕方、ニューヨークで、デニス・ハリデーにこの質問をしてみた。私たちは、国連総会が行われる大きなモダニスト風のシアターに二人で立っていた。「ここが、現実の世界を象徴している場所です」と彼は言った。
「一つの国家に、一票。対照的に、安保理では、常任理事国5カ国が、拒否権を握っています。イラク制裁の問題が国連総会で扱われていたならば、大差で、制裁は終了していたでしょう」。
「私たちは、国連を変えなくてはなりません。自分たちのものであることを改めて主張するために。イラクで行われているジェノサイドは、私たちの意志に対する試練なのです。私たち全員が、沈黙を破らなくてはなりません。ワシントンとロンドンにいる責任者たちに、歴史が彼ら/彼女らを断罪するだろうと、気づかせなくてはなりません」。
(2003年3月に改訂されペーパーバックで発売予定のJohn Pilger, The New Rulers of
the World (London: Verso) の一部を編集したもの。益岡賢 2003年2月27日)
益岡賢さんのホームページは
http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/
オリジナル原稿が再録されたZnetは
http://www.zmag.org/content/showarticle.cfm?SectionID=40&ItemID=3106
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MAGCHIMERA WARTIME 02 2003 年4月15日発行
編集発行 藤澤みどり
'Children of the Gulf War' photo exhibition UK tour
http://www.chimerafilms.co.uk/children.html
midori@dircon.co.uk
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